2020年より始まった、市民間から対話を通じて平和を作る、東アジア平和大使プロジェクト。
今年は遂に、戦後80年の2025年まであと一年を切りました。
当初計画を立てた4年を終え、2024年度のプロジェクトは5年目を迎えます。
4年間を経て、実施したプロジェクト内のイベントや取り組みは39個、366名の方に様々な形で参画頂きました。
これからの3年間は、戦後80年を含む3年間。
東アジアの和解と共生をテーマに、世代や所属を超えた明日への願いの声を集め、市民社会から戦後80年談話を国内外の繋がりを超えて形成することを目標とします。
2024年度の第8回となる本会は、11月に行った満蒙開拓団フィールドトリップの報告会として開催いたします。
当日は黒川開拓団遺族会の藤井宏之さん、満蒙開拓平和記念館館長である寺沢さんを含めて、9名の方にご参加いただきました。
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開催概要&当日構成
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満蒙開拓団について&フィールドワークの報告
対話セッション
満蒙開拓団での生活
満州からの引き上げ
感想など、フリートーク
クロージング
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対話の内容
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<満蒙開拓団での生活>
・移住した先でどのように生計を立てていた?
→農業が中心。現地の人々の農地を奪い、農耕を開始。ジャガイモなどを栽培。
・フィールドワーク時に満州での生活が楽しかったと話すおばあさんの話が印象的だった。
→正当化されるべき歴史ではないが、当事者にとって満州にも「普通の生活」があったことを実感。
<満州からの引き上げ>
・日本の敗戦後ソ連の満州侵攻や現地の人々による日本人への収奪行為が発生
→現地の人々とうまく付き合っていた村では近所の人々が
盗賊がやってくる日時を教えてくれて守ってくれたことも
・日本国政府はどのような対応をしたのか
→日本政府は満州にいる日本人に現地に留まるように指示。
国は国民に対して冷淡だった。
・ソ連に襲われた村では女性をソ連兵に差出すことで日本への帰国ルートを通らせてもらえた。
ソ連に抑留された男性も多くいた。
<フリートーク>
・悲しい事実として戦争が起こった時に女性が差し出されるという構図が様々な場面で存在する。
どうしたら悲しい連鎖を断ち切れるのか。
・軍艦島は負の世界遺産というイメージがあったが、そこでも生活の話で、楽しかったという話があった
・国の歴史に目を向けることも大事だが、そこで生活していた人々に目を向けることも重要
・自分の周りにも多く親戚が満蒙開拓団に行っていたことに驚いた。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
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次回
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次回は2月に日本の戦後談話について考える会を開催予定です。是非ご参加ください。
■東アジア平和大使プロジェクトとは?🎵
2020年より始まった、WUJの年間プロジェクト。
東アジアの次世代が「近くて、遠い」と言わない社会をつくる、を理念に掲げています。
事業期間中は毎月イベント開催し、東アジアの和解と共生に関わる人々の対話と連携と場を創出します。
東アジア平和大使プロジェクトの概要は以下をご覧ください。
※スケジュールやプログラム内容は若干変更する可能性がございます
東アジア平和大使プロジェクト
戦後80年談話回答フォーム:https://forms.gle/eyc8VUTKDzwYkPqL9
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