安心の場づくりと自己紹介をしたうえで、まずエシカルに参加するという際にどういった行為をイメージするかという問いについて、参加者のそれぞれの認識を話し合いました。
エシカル消費をはじめ、何か商品を購入するというイメージや人だけでなく、自分の健康に良いものというイメージがあるということも話されました。
参加者の中には、いじめがあったときにそれを止めることや人権問題に声を上げるという意見もありましたが、一般的かどうかという点では、「生活」に密着しているかどうかによって認識されにくく、いじめや人権問題は「生活」との密着が低いかもしれないという声もありました。
ただ、これらは同時に、政治や社会問題の生活とのつながりを認識しにくいがゆえに、エシカルというイメージに含まれにくいかもしれないという声もありました。
続いて、エシカルの意味について、それぞれが持っている認識を共有しました。
エシカルについてはどれぞれに考えがあり、違いがありましたが、エシカルという概念自体が、現状に対する警鐘を鳴らすサインなのか、それとも行動変容を促すプレッシャーなのかという点で議論がなされました。
プレッシャーとなるかどうかについて、社会の中で善悪が日常的に語られ、また、繰り返し行動によって価値観形成に至っているかどうかによって違いが生まれるのではないかという意見もでました。
参加者の経験として、渡米した際に感じた日本社会との違いとして、人々の行動が周囲の人の目を見ている(2D)のではなく、お天道様や神様、あるいは自分が死ぬときに後悔しないというような超越的視点(3D)で行われているように見受けられたことも紹介されました。
続いて、エシカルについての定義の紹介がなされました。
「倫理的」「倫理(ethics)に関連するもの」という意味に加え、道徳的な賛否を伴う/表明すること、受け入れられた行動規範に適合していること、倫理的行動などの意味も紹介されました。 また、Ethicsの語源はギリシャ語のエトスについて、「人間の持続的な性状。(行動の反復によって獲得する習性)また、社会集団における道徳的な慣習。生まれつきの天性と後に身につけた習性との両面を含む。」という点が紹介されました。
この理解のもと、エシカルに関連して日本で語られるメッセージには、人権や生態系への公正さだけでなく、エシカル起業はかっこいいなど、様々な価値観が乱立し、必ずしも、一つの方向性で繰り返し反復して作られていないという指摘がありました。
その結果、言葉は存在するが、その中身がつかめない空洞化にも近い現象が生まれ、結果として、エシカル商品は買っても、人権侵害には声を上げないような状況も生じうるという意見もありました。
最後に、これまでの議論を受けて、個人としてしたいことと、こうした日本社会に向けて働きかけたいことについて考えの共有を行いました。
有機農業を続けていきたい、おかしなことにおかしいという。言っている自分ができていないときに批判を受け入れて、ちゃんと嘆きを行いたいなどの意見が話されました。
社会に対しての働きかけたいこととしては、日常の中でエシカルを体現している人にスポットライトをあて、例えば、遅刻しそうにもかかわらず人助けしているなど、具体的にエシカルな行動を認知し、それを反復して理解できるような社会教育を実施したいという声や、環境以外の分野での活動の選択肢を広めたいという声、さらには、自分自身のの働き方を変えること、自分の権利は大事にして、声を上げること、今かかわっているNPOで、「利他的行為」の良い循環を増やしたいといった考えが共有されました。
日常的に使っている言葉について立ち止まって考え、その理念をしっかりと日常から体現していくことが重要だと改めて考えました。こうした対話を糧に、社会を変える活動を進めていければと思います。