【開催報告】10月30日(金):東アジア平和大使プログラムv.6
更新日:2021年9月6日
気が付けば6回目の開催となった東アジア平和大使プログラム。
当初の予定とは少し変えて、10月30日の回は、WUJ理事の長川の台湾からの友人であるBeya Leeさんをオンラインで招き開催しました。
台湾にルーツを持ち、そこに住み、北京での留学経験もあるという経緯から、”Dialogue with Taiwan -Past, Present, and Future-”というタイトルでご登壇頂きました。
本企画の意図は「一人の台湾に住んでいる市民として、Beyaさんの物語を引き出すこと」。Pastには日本の統治時代、Presentには現在の台湾での市民運動、Futureには今後の世界や地域における台湾の役割をBeyaさん自身がその周りの方々がどう見ているか、という場づくりを心掛けました。
【当日の流れ】
【共有】① 三国関係の問題 ② 今年の日中韓の動き
それぞれの社会の認識について学び & 意見交換
未来へ向けての全体対話
当日は台湾の参加者もいることを想定し、日中同時通訳を挟んで開催、結果全体で8名からの申し込みがあり、2名が外国からの参加(台湾・米国)となりました。
以下に、簡単ではありますが報告をまとめております。是非、ご覧ください。
参加者の対台湾/日本の認識と参加動機
冒頭、参加者の対台湾と、対日本(外国からの参加の方)に対する認識について、調査をしました。
「台湾に親しみを感じるか?」「日本に親しみを感じるか?」という、設問に対し、回答の種類は5つで、回答結果(答えてくれた方のみ)は以下となりました。
(※括弧内が対日本に対しての回答、その他は対台湾に対しての回答です)
非常に親しみを感じる:4
どちらかと言えば親しみを感じる:1(1)
どちらともいえない:0
どちらかというと親しみを感じない:0
非常に親しみを感じない:0
2に回答してくれた日本人の参加者からは、「台湾に行ったことがないだけなので、実際に行ったら1になる気がする」というコメントがありました。
【今回の参加者の参加動機】
Friend of Beya's,met in MUN. Love Japan too haha.(Beyaの友人で、模擬国連で出会いました。日本も大好きです)
最近、台湾保守系のyoutube広告をよく見る。親日国といわれるけれど、先住民の抗日の歴史もあり、本当なのかなって思って。実際の台湾に生活している人にどういう情報を受けているのか、どういうことを教育を受けているのか、気になる。
台湾に興味があり参加させて頂きました。
高校で政治経済を教えていますが、台湾と中国の関係を心配しています。
台湾人の友人も多く、昨年12月に台湾にも行きました。Beyaさんの、福建、先住民族というキーワードにとても興味があります。
Beyaさんのストーリー(対中関係やidentityなど)
1時間半という時間を使い、Beyaさんの熱量のあるプレゼンテーションでは、Beyaさん自身の祖父のお話や、台中関係、identityの話等がありました。
特に印象に残った点として以下をご紹介します。(※こちらはBeyaさんご自身のご認識の話も含まれます)
台中関係を改めて見直し、その難しさを考えた時に、自分の文化を改めて見直してみようという思いで、北京での進学を選択した。北京で感じたことの1つとして、1つの民族という意識があついという印象があった。言動の制限等はあった。
また、台湾の教科書でも、メディアでも中国に治してネガティブなものはあり、それがあり中国に行ってみたくなった。
統治時代、公学校と小学校があり、公学校は台湾人、小学校は日本人と、一部の日本語がうまい台湾人が一緒に授業を受けていた。
(Beyaの)祖父は、亡くなるまで日本に対しての感情が高く(※関心が高く、という意味だと理解)、70年代に日本に初めて来日。たくさん物を買って空港に行ったところ怪しまれ、流ちょうな日本語で返したところ、相手がびっくりした経験を聞かされた。
日本の統治時代の区切り/呼び方は複数ある:From older local Taiwanese people: ⽇本時代 (Japanese Era)、1951: ⽇據時期 (Japanese occupation period)、1987: ⽇治時代 (Taiwan under Japanese rule era)、1997 in text book: ⽇本殖⺠統治時期 (Japanese colonial period)
台湾のインフラは日本が台湾を治めている影響が大きい。それがあってこそ、今の台湾があるような気がしている。
時代によって、台湾のidentityの悩みは異なる。日本人?台湾人?中国人?。常に自分のidentityについて考えるということがあるからこそ、そこから対話が生まれ、話したって物事を決め、民主的な社会が生まれてきたのではないか。
年齢層によって中国の呼び方が違う。対岸とよぶこともある。父は中国大陸、と呼ぶ。
台湾ではアジア初の同性婚が認められている。
参加者からの質疑・コメント
通常は日本語ですと「原住民」という呼称よりも「先住民」という呼び方が好まれています。一方で、台湾では「原住民族」という言葉が使われています。 中国語で「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、この表記は台湾では用いられていないそうです。
日本でも1944と1945は全く違うといわれていますね。特に教育勅語的な教えから国民主権への教育の場での違いはすごかったと70代の友人が言っていました。
戦後も日本に対する捉え方がこのように変化したんだということは初めて知りました。
日本植民統治時代への呼び方がこうも変化していたとは驚きました。
台湾人は日本の統治に対してポジティブなイメージも多く持っているという話をよく聞きますが、今回もそのようなお話でなるほどと思いました。そうは言っても、ネガティブなイメージもあるかとは思いますが、具体的にはどのようなところがネガティブなイメージとして伝えられているのでしょうか?現在の教科書では日本統治時代についてどのように書かれているのでしょうか?
台湾は親日国といわれていて、ただそれが台湾は植民地化を容認していると日本の右派に言われることもある。そのあたりについての台湾の若者としての所感が気になりました。
また、教科書における日本占領下の記載の違いがあり、冷戦や時代の背景による伝え方の違いなど興味深かった。日帝時代に自治運動をしていた人たちは、国民党を受け入れられたのか、など気になりました。台湾と第二次世界大戦と聞くと、個人的には、高砂義勇軍という大日本帝国軍の精鋭部隊のイメージがありました。
日本でも沖縄、広島、長崎では戦争体験者の高齢化が問題となっています。戦争体験をどのように若い世代に引き継いでいっているのかが気になりました。(教科書以外のアプローチなど)
台湾の方は日本に対して、植民地の時代があったので悪いイメージ、ネガティブなイメージが強いと思っていました。なので今回ポジティブなイメージも多く持っているというお話はびっくりしました。学校で習うこと、教科書に書いてあることとは違うお話も聞けてすごく興味深かったです。
1990年の三月学運と1989年の天安門事件は2つの国の明暗を分けたとよく語られていますね。
先住民に関するこうした話は今でもアフリカのモザンビークとかでも起こっていますし、日本のアイヌにも通じる話だと思います。
台湾には原住民(先住民)族グループがたくさんあるとおもいますが、台湾の人は 原住民(先住民) についてどのくらいの知識や理解があるのでしょうか(学校でどのくらい習うのか等)?
また、実際 原住民(先住民) に対してどのような意識を持っているのでしょうか? 原住民(先住民) の方々はどのような意識を持っているのでしょうか?
最後に、台湾や日本・台湾関係に関して、Beyaさんおすすめリソースをご紹介します。
セデック・バレ
KANO
海角七号 君思う、国境の南
湾生帰郷物語
CHTHONIC 皇軍 TAKAO (Takasago Army)
次回も11月下旬に「日本社会の中の中国」に関して開催予定です。
Comments